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ルキ(Lukih)

Author:ルキ(Lukih)
診断書貰って見たら「傷病名:統合失調症」だった…もう、7年も通院してます。人生終った…と思うこともありますがなんとか生活を立て直したいんです。


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脂肪肝だよ

デブで脂肪肝とかホント、凹む。


私は今までに3つの精神病院を渡り歩いてきた。

最初の病院では二年ちょっと通ったのに、一度も血液検査をしなかった。

しようと言われもしなかったので、その辺はちょっと担当医適当だったかなあと思う。

発症して大量の薬を飲んでいたので、あのころマメに血液検査をしていたらと後悔してる。

じわじわと肝臓はヤラれていたんだろうな。

二軒目も一年ぐらい血液検査の話はなかった。

去年の秋ごろから酷くだるくて、憂鬱で、家事もままならない状態になり「もしかして、別の病気なんじゃないのか?」という疑惑を持って、年明けに初めて血液検査をしてほしいと申し出た。

甲状腺の病気じゃないかと思ったので、普通の検査に加えて甲状腺の検査もしてもらったのだ。

そこでとんでもない数値が。

甲状腺はT4が4.4と平均より若干低いぐらいで、病気といえるほどではなかった。

が、肝臓がとんでもないことになっていたのだ。


48以下でなければならないガンマ値がなんと173!!

\(◎o◎)/!

発症前、どんなに呑みまくっても、呑んだ翌日測っても10を超えたことがなかった私のガンマ値。

せいぜいちょっと基準値超えぐらいだろうと舐めてた。完全に舐めてた。


それに総コレステロール302(基準値219まで)!

中性脂肪399(基準値149)!

……orz

うそでしょ。


TTTもASTもALTもLDLコレステロールも基準値超え。

すぐに内科に行くことに。

そこで言われたのが当然ながら「まず痩せろ」。そりゃそうだ。

放っておくと肝硬変→肝がんで死ぬとまで。

この時、とっても弱っていたので犬の預け先を確保し所持品の整理をしてこのまま死のうかと考えてしまった。



内科的治療が必要とのことで、アトルバスタチンとロトリガを処方され、炭水化物禁止令を出された。

この内科医、もともと小デブだったのがダイエット成功して痩せ信仰が強い。

とにかく血糖値を急に上げなければいい、と腹が減ったら唐揚げを食え、白飯を食うなと。

唐揚げって……どうなの?



しばらくは、このまま病気で逝っちゃったほうが人に迷惑かけないでいいのかもしれないと悶々とした。

が、調べてみるとそんなに早くは逝けないということがわかり、しぶしぶ炭水化物を控える生活を始めた。


甲状腺はFT3、FT4が基準値よりほんのすこし低いだけで、まあ健康の範囲内だった。


そこから毎月一回、薬を飲みながら4ヶ月節制生活をした。途中酒を飲むぐらいはしたけど。あと週一回ぐらいは米も食べたけど。


数値は順調に下がっていった。ちょっとずつではあるが体重も減った。

6月の時点で、

ALT60(基準値43まで)

ガンマ値94(基準値48まで)

HDLコレステロールがちょっと低くて38(基準値40から99)

総コレステロール、中性脂肪は完全に基準値内に収まった。


またそろそろ血液検査に行かねばならないのだが、内科医がチャラくてチャラくて、行く気が出ない。

だってちょっと痩せただけで「痩せたら綺麗になるよ! ねえ、綺麗になったら何したい?」

とか、スイーツ丸出し発言するんだもん、私が精神病院通ってるの知ってるくせになに言ってんの。

キレイとかキタナイとかもうはるか彼方なんだよ!!ヾ(*`Д´*)ノ"

「なにもしたくないけど、犬の散歩と植物の世話だけはしなきゃ……」って生活してんだよ。

たまに出かけても、旅行だったとしても現実逃避行動。部屋着のまま出かけ行き先では部屋にこもって寝てるんだよ!!


ああ、あの内科医に会いたくない……おっさんなのに、キレイになるとかほんと鬱陶しい。

あ、でもよく考えたら、ここまで来たら薬要らないし精神病院で血液検査すればいいんじゃないの?

そうだ、そうだ。

もう会わなくていい! いまちょっと希望が見えてきた。



今は調理不要で血糖値を急に上げないものだけ食べて暮らしてる。

木綿豆腐、無脂肪ヨーグルト、低脂肪牛乳、野菜。たまに鶏胸肉。サプリメント。

こんなの、元気なときには耐えられなかったけど、今は同じものを食べている方が気持ちが落ち着く。

餌みたいだなあとも思う。

でも、調理したり栄養考えたりが負担だからもうちょっと元気になるまではこれでいいことにした。


体重管理はスマホアプリを使っている。

毎朝体重計に乗る、食べたものを記録する。散歩の歩数を数える。それだけ。

今月は約3キロ落ちた。

発症前の体重に戻りたいとまでは言わないから、じわじわと肝臓の負担を減らしていきたい。

年内にエコーも撮りに行こう。



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夫の死について 「財布の中身」

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1 夫の死について 「予兆」

2 夫の死について 「救急搬送」

3 夫の死について 「失踪」

4 夫の死について 「発見」

5 夫の死について 「火葬と葬儀」

6 夫の死について 「死後の手続き」 

7 夫の死について 「散骨」

8 夫の死について 「会社からの説明」

9 夫の死について 「財布の中身」 ←この記事です





夫が亡くなった時に持っていた財布には五万円ちょっと入っていた。

失踪した日、仕事復帰用に下ろしたお金がまるまる残っていたのだ。

その頃、私は毎日不思議な幻覚を見ていた。色とりどりの花だ。

私はなんだかわからずただ受け入れていた。

の影響なのか、異常事態で興奮していたのか、何かしなければならないと常に焦っているような日々。

焦りながら動きまわり、電池切れしたように横たわり、眠りは浅く短い。


最初は、夫に花を供えるべきなのかと、毎日のように花屋にいって切り花を買って飾っていた。

それでも幻覚はずっと花を見せ続ける。


夫の財布のお金を使って花を植えよう、唐突にそう思った。

生前、マンションの植栽が全部枯れ果ててみっともないことや、犬といつも行く公園の花壇がミントとセージと雑草とゴミで酷いなあとぼやいていたことを思い出したのだ。


マンションの植栽は次の大規模修繕まではどうにもならないと管理会社に言われ、許可をとって枯れた植栽を全て抜いた。

雑草だらけだった場所をきれいにして、防草シートを貼って白い石を敷き詰めた。

日陰で陰気な建物の裏に、暗くても育つ葉物と蔦を植え込んだ。

丸ハゲになった植栽は、土壌改良をして花の苗を植えた。半分はすぐに撤去できる鉢物、半分は季節の花。

これならいつでも撤去できる。

苗の種類は、なぜか育てやすい季節のものの前で「ここ、これ」と声がした。

夫の声ではない。なんだったのか、全くわからない。



それから、花壇を掘り返した。これも市役所の公園担当に許可をとって始めた。

雑草を抜き、ミントとセージが真ん中で競り合っているのをどうにかこうにか抜いて、両端にそれぞれの生きるエリアを残して、土を篩いにかけた。


道具はかなり本格的なものをホームセンターで購入した。大きなシャベルや鍬、篩、刃の丈夫なハサミ。

畳二畳ぐらいの花壇は思ったより手強い。なぜだか乳児の頭サイズの石や欠けた瓦がザクザク出てきた。

作った人はそもそも花など植える気はなかったのではないか。そんな土の質だった。



ミントは根を深く広く張っていて、ただ耕すだけではまたミントとセージの戦争になるのは間違いない。

仕方なく、45センチほどの深さまで掘って、防草シートを張り、花用に土を全て入れ替えた。

篩いにかけたもとの土は、公園の低いところに撒いた。いつも雨が降ると沼みたいになるエリアが気になっていたのだ。

石や瓦は、大きい物を縁にして、トイレまでの短い通り道を雨でも泥が撥ねないように砂利道にした。


土を入れて、苗を植えて、ゴミを拾い、周りの雑草も抜き、作業は終った。

作業中は何も考えていなかった。作業が終わると横たわる、浅い眠り、また作業、その繰り返しの約一ヶ月。

あの仕事をもういちど最初からやれと言われても絶対に無理だ。

説明がつかない。なんだったのだろう。



植え終わり、咲きそろう頃、花の幻覚は消えた。

夫のお金は道具と土と苗や小石できれいになくなった。

植物は世話をしなければ生きていけない。当然ながらそのために私は少しは外に出なければいけない。

どんなにしんどくても、ヨロヨロ水やりに行く。

マンションの管理組合から、感謝と差し入れの申し出があったが、差し入れは断った。

ただ私がやりたくてやったことだ。


このマンションは飛び降り自殺が十年間で二人。ふたりとも、他所から来て飛び降りた。

もう、ここでそういうことがないように、という願いもあった。


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夫の死について 「会社からの説明」

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3 夫の死について 「失踪」

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6 夫の死について 「死後の手続き」 

7 夫の死について 「散骨」

8 夫の死について 「会社からの説明」 ←この記事です

9 夫の死について 「財布の中身」




夫の散骨が終わって、ようやく会社の人と話をすることになった。

お互い、とても気まずい。

会社からは事業所の一番偉い人と、直属の上司が我が家に来てくれた。

私は、母に来てもらって、二人で応対した。


渡された紙はA4一枚。

今までの経緯を会社側から記したもので、法的に問題のないよう慎重に作成された感じがした。

その紙をほとんどなぞるように説明された。

夫の仕事の失敗は、そんなに重大なものではなく、どうにでもフォローできたこと。実際もうさっさと解決してしまったという。

仕事の携帯に休暇中誰が電話したかは守秘義務があるので教えられないということ。

夫が仕事熱心で、部内でも他部署でも知り合いが多くうまくやっていたこと。


つまり第一の問題は仕事ではないという感じ。

私も確かに、仕事だけが理由だとは思わない。でも、休み中に何度も何度も電話したことは負担になったんじゃないかな。

取引先の人かもしれないけど、それも、教えてはくれない。


夫の会社の私物をどうするか、と訊かれて、手間をかけさせるのは申し訳なかったけれど会社から宅配で送ってもらうことにした。

それから、家にあった会社の資料をすべて渡した。守秘義務守秘義務いうなら、いずれまた返すように言ってくるだろうと思ったのでその場で持って帰ってもらった。


ペラペラの説明書きを、二人が帰ったあともう一度読んで、電話を私が取れば良かったのではないかと自分を責めた。

何度かかってきても、夫は療養中といって会社の他の人に回してしまえばよかった。

それとも、それはほんとに些細な事で、単純に原因不明の意識障害にショックを受けていたのだろうか。

私は夫を追い詰めたりしていなかった? なにがいけなかった? あの言葉? あの行動?


どうして?



A4用紙は死後の手続きに使ったファイルのなかに一応しまっておいた。

数日後、小さなダンボールで夫の私物が届いた。

メモ帳だの、ボールペンだの、ちょっとしたファイル類だの、送ってもらうほどのものでもなかったかもしれない。それから、ビニール傘まで。

部署の人には申し訳ないことをした。

お詫びとお礼に菓子折りを送った気がするが、どんなものだったかまでは覚えていない。

淡々と行動しているのに、朝食べたものを昼に完全に忘れていたり、耳鳴りや幻聴や、風景が二重写しになる幻覚。

人がいる場所にいると、異世界にいきなり放り込まれたような怖さを感じた。

気分を上げるのお陰で動けたのだと思うけれど、いつも手足の先が震えていて、一人でも家の中をうろうろ、あれは副作用だったのだろう。

ひどく疲れるだった。


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夫の死について 「散骨」

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9 夫の死について 「財布の中身」 




間がずいぶん空いてしまった。

でも、一番つらい記事は終えたので気持ちは少し落ち着いている。


夫の遺骨をどうしよう、死後の手続きをしながらずっと考えていた。

夫は末っ子なので、実家の墓には入れない。

私が度々行ける距離の墓所はどこもかなりの高額だ。その上、私が死んだあとそこに入れるかどうかもわからない。

そもそも、夫の希望はお気に入りの南の島の海に流すことだった。

海。世界中つながっているから、どこの海でもたぶん問題はないんだろうけれど……と思い、国内の散骨業者を調べてみた。

南の島に私が行って散骨するより高額だ。

それなら……と、飛行機のチケットを購入した。望み通りにしよう、出来る限り。


焼いたままというのはさすがに気が引けるので、骨を粉末状にしてくれる業者に依頼した。

ついでに、趣味の悪い骨壷の処分も頼む。この骨壷処分だけで5000円ぐらいした。捨てるだけなのになかなかの値段だ。


その島では、海辺で火葬して散骨する文化があるのだが、念のためいつもそこでお世話になっている旅行会社の社長さんに確認をとった。

法的には問題ないとのこと。

宿は、夫が好まないが私は好きな設備の整わないユルイ民宿にした。


粉末化した遺骨に、英語で証明書もつけてもらった。見た目がヤバイ薬みたいなので念のため。

骨はジップロック大袋2つ分になった。


友人たちが、四十九日法要の代わりに集まろうと準備してくれたのでその時に報告できるように、私は出発した。

よくそんな体力が残っていたものだと、振り返ると不思議でしょうがない。

ただ、身支度を整えるとかそういうことはまるでできなかったので、部屋から寝起きで出たみたいな格好で空港に辿り着いた。

チェックインの時、事情を話すと、係員の偉い人が出てきて隣の席をブロックし、そこに遺骨の包をどうぞと言ってくれた。


出国ゲートでは当然ながら止められた。

遺骨なんです、調べても大丈夫です。と言うとすぐに包を返してくれた。


南の島に到着した。

数カ月前に来たばかりなのに、今はもう夫が居ないということがここに来て改めてずっしりと胸に堪えた。

宿で唐突に泣いたり、呆然としながらひたすら煙草をふかしたりした。

夜明け前、宿を出て沖まで泳いだ。

水深4メートルぐらいのところで、離岸流に注意しながら夫の遺骨を流した。

珊瑚のピンクや紫の上に、白い帯がさあっとかかって消えていく。

餌だと勘違いした色とりどりの魚がわっと集まって、そして散っていった。

本体が120センチぐらいの小さなサメもぐるぐる回っている。初めてサメを目の前に泳いだ。


陸に上がって、朝日を拝み、ひとまず終ったと思った。


夫の家族には予め了承をとってあった。

義兄はそれが弟の希望だったなら、ルキさんのいいようにして、と言い、他に物言いもつかなかったので実行できた。



帰国して、友人たちが四十九日の集まりをしてくれた。

私はお世話になった礼と、夫の遺骨の話をし、海に行った時思い出して欲しいと挨拶した。

友人たちの思い出話が辛く、ありがたいのに、苦しかった。

「大丈夫?」と聞かれれば、大丈夫と笑うしかない自分の弱さが嫌だった。

全然大丈夫じゃない。思い出は生々しすぎて。


その後、夫のもう一人の兄が奥さんと二人でお線香を上げに来た。

正直、旅行の二の次なんだなあと思うと少し白けた気持ちになった。

でも家族旅行を直前キャンセルはお金もかかるし大変だから、仕方ない。こうして来てくれるだけでも夫は喜ぶだろう。



夫の遺骨はほんの少しだけ、手元に置いてある。小さな容器にいれて、リビングの、テレビが見えるところに。

私が死んだら、一緒に海に流してもらおうと思っている。



そうだ、犬のことも書かなければ。

たった一月で、犬の体重の7分の1が減った。食餌の量も運動も変わっていないので、余程のストレスだったのだろう。

あるいは、夫がちょくちょく夕食のおかずを私に隠れて与えていたのが止んだので痩せたのかも。

夫を最後に見送ったのは犬だ。悲嘆にくれる私を見続けたのも。

まったく、気の毒なことだ。



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退院後初めての通院

昨日は退院後初めての通院だった。

本当は、2週間前に行かなければならなかったのだけれど、調子が悪いのと入院の試みがまったく無駄だったことがショックで、足が向かなかった。

その間は、残っていた前の処方を飲んでいた。


医師と会うと緊張して言うべきことを言わずに終わってしまうことが多いので、前の日にメモを用意していった。

頑張って早く受付カウンターに行ったのに、順番は7番目。小一時間は待つ計算だ。車があればもっと早く来られるんだけど……。

待っている間、行き来する職員たちの勢いに気圧されてぐったりする。

あっち側に戻ることはできるのだろうかと、暗い気持ちになるのだ。

ケースワーカーとの会話も嫌だ。彼女は座っている私に対ししゃがみこんで目を合わせるので、ちょっと怖い。

まったく無関係な、例えばコンビニの店員ぐらいの距離感でなら変にドキドキしないですむのに。



診察は5分もせずに終った。元の処方に戻すこと、あと、入院時に撮った頭部CTと胸部レントゲンの結果。

脳の萎縮もなく、肺もキレイ、心臓のサイズも問題なし。



会計で待ち、で待ち(でも院内処方なのでありがたい)、タクシーを呼んで帰る。

精神病院って、辺鄙なところにあるので時間帯によってはバスもなにもない。行きは最寄り駅から病院のバスがあるのでそれを使うけれど、本数は少なく帰りはどうしようもない。

帰宅して、2日ぶりのシャワーを浴びた。

身支度ぐらい毎日きれいにできるようになりたい。

発症前とはまるで別人だ。ため息が出る……。


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リフレックス合わず、レクサプロに戻る

リフレックス、三週間飲んだ感想。

最初の3日はひたすら眠い。

その後は、少し元気が出るけれどやたらお腹が空いて、空腹時のイライラは尋常じゃなかった。

節制しているにもかかわらず、三週間でひどく身体が浮腫み3キロ体重が増えた。

結局、もともと飲んでいたレクサプロに戻した。

が合うか合わないか、三週間は試さないと分からない。身体はそのたびにびっくりする。

今は新たな挑戦をする気力がないので、しばらくはこのまま。

レクサプロは、地面スレスレの低空飛行を維持する、という感じのだ。

ガクッと調子を崩した時にはレクサプロではどうにもならず、寝込むことになる。

それでも、いまのところは最低限の家事と少しの内職で生活するのだと腹をくくって、転機を待ちたい。

お腹空いてお腹すいて、悲しくてイライラするってことがない点だけは良いと思う。


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夫の死について 「死後の手続き」

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1 夫の死について 「予兆」

2 夫の死について 「救急搬送」

3 夫の死について 「失踪」

4 夫の死について 「発見」

5 夫の死について 「火葬と葬儀」

6 夫の死について 「死後の手続き」 ←この記事です

7 夫の死について 「散骨」

8 夫の死について 「会社からの説明」

9 夫の死について 「財布の中身」 



お盆も終わって、本当はもうこの記事も上がってるはずだったのに、なかなか思うようなテンポでは進まない。

夫の死後の手続きについて、たくさんあったが印象深かったことを少し。

葬儀の記事で書くのを忘れたけれど、「遺影」について。これはかなり選ぶのが大変だった。

変な顔の写真ばかり出てくるのだ。

リカと二人で選んだのだが、私は途中で「もう、証明写真でいいんじゃないかな」と音を上げた。

でもリカはそれじゃ夫らしくないから、と、まともな笑顔の画像データを漁った。

結局、写りは小さいが、夫婦で南の島に行ったときに、レストランのウエイターが撮ってくれた一枚を引き伸ばして使うことになった。

私もそういえばまともな写真はあまりない。定期的に笑顔の写真を撮らなければ。

特に葬儀して欲しいとは思わないけれど、タイミングによってはしなくてはならないかもしれないし。



さて、死後の手続きの話に戻ろう。

夫の会社の手続きが一番のんびりしていた。いち早く国民健康保険に切り替えたかったのだが、なんだかんだと三週間ぐらいはかかったのではないか。

役所は、一つ終われば次の窓口を案内されるの繰り返しでさほど大変ではなかったような気がする。

死亡届を提出したときにもらった、「やることリスト」が役に立った。



相続手続きの一番最初は銀行に行くことだった。

相続人は私と舅。

銀行で紹介された行政書士に依頼して、夫の戸籍を最初からたどり、揃えて、舅に報告した。

舅は相続を放棄し、マンションや預金は私が引き継ぐことになった。

行政書士への支払いは、7万円か8万円だったかと思う。

夫が独身時代に作った地元の銀行口座の10000円は、まだそのままだ。すべて落ち着いたら最後に手続きしようと思っていたのに、ぐずぐずとここまできてしまった。



それから、死亡保険金。

拍子抜けするほどすんなりと支払われた。

長い付き合いの保険の担当者に電話すると、必要な書類を指示され、葬儀費用で大きなお金が必要だろうからと、すぐに百万単位のお金を準備できると申し出てくれた。

結局、そこまで急ぐほど蓄えがなかったわけではないので、一時金は断ったが。



あとは、年金。

年金事務所まで、妹が付き合ってくれた。

遺族年金は年で54万円ぐらいだと伝えられた。



クレジットカードの停止や、公共料金の名義変更は、一息に片付けてしまった。

体調が悪く、耳鳴りや幻聴が激しかったが、終わらないと休まらないと切羽詰まっていた。



合間に、お世話になった人たちに礼状を書いて郵送した。

きれいな文章にはならなかったが、思いを込めて書いたつもりだ。

でも行き届かなかったところも多くあったかもしれない。



健康保険証が切り替わらないままだったが、問題無いと言われて精神病院に受診もした。

妹と七瀬がいたから、葬儀から10日ぐらいのことだったと思う。

夫のことを話すと、主治医は遺族年金より、認定されれば障害年金のほうが多いと思うから診断書を書くと言ってくれた。

それから、精神科の医療費の負担が減る「自立支援医療」と、精神障害者手帳の診断書も。

睡眠導入剤と安定剤など、薬はどんと増えた。



夫の会社が話をしたいと何度も電話してきた。

倒れる前、夫がした失敗について私も詳しく知りたかったが、死にかけて休養中なのに何度も電話してきたことに憤ってもいた。

落ち着くまで……と濁してしばらく待ってもらった。

私が持ったままの会社の携帯にも料金がかかっていると言われたことに、少しムッとした。

「こちらから申し出ずにすみません、その分のお金はすぐにお支払いします」

苛立ちを抑えて言ったら、会社の人は焦ったようにそこまではしなくていいと答えた。



夫が倒れた時のカルテのコピーを病院に貰っておき(数万かかった気が)、会社との話し合いの席でどう振る舞うべきか、弁護士に相談に行った。

弁護士は、会社はいろんなことを隠すだろうし、休養中の電話の件は謝罪しないだろう。
また、話し合いの席に弁護士がいることで却って口が重くなるから同席はしないほうがいいと告げた。

相談料は1時間1万円だった。

高価だが、現実を見なくては、と、冷静になれたと思う。


手続きの多くは、主に妹と七瀬が交代か、一緒に付き合ってくれた。

七瀬が帰ってから、家の静けさにひどく不安になったのを覚えている。


両親は特に何もしなかった。

特に父は何も。

火葬のときお金の話で場を凍りつかせた父は、その夜実家で怒り狂った妹と大げんかになり、妹は二度とこの件に口出しするなと言い、母は父の機嫌のために流れに身を任せた。

母は父の不在の隙に、たまに顔を見に来た。


死後の手続きらしい手続きは、一ヶ月の間に済んだ。

私の体調はすぐれず、ちょっと動いてはぐったりとなることが多かった。

高熱か低血糖の状態に似ていた。



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夫の死について 「火葬と葬儀」

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1 夫の死について 「予兆」

2 夫の死について 「救急搬送」

3 夫の死について 「失踪」

4 夫の死について 「発見」

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6 夫の死について 「死後の手続き」 

7 夫の死について 「散骨」

8 夫の死について 「会社からの説明」

9 夫の死について 「財布の中身」 




どうやって夫の死後の諸々を片付けられたのか、今持って謎だ。

とにかく、ちゃんと見送ってやらなくてはならない、という想いだけで動いていたと思う。


夫の死亡診断書代金は15,750円だったと思う。病院に行くのは辛かったので、銀行振込させてもらった。

遺体検案料とは別なのだな……。

ちょっとひっかかる。死体検案料を払っているのに、死亡届が別に必要だったのか。

死体検案書と死亡届は一枚の紙なのに、警察で貰わなかったのだろうか。思い出せない。



遠方に住む、中学時代からの友人七瀬(仮名)が自分の家族のことも置いて飛んできてくれた。

私達の結婚式の時は彼女は出産直後で、生きている夫に会ったことはない。

七瀬と会うのは、ほぼ10年ぶりだ。失踪した数日後から心配して、死を報せたら当たり前のように来てくれた。

本当にありがたかった。独りの夜を、犬とどうやって過ごしていいのか途方に暮れていた。

睡眠導入剤も抗アレルギー剤も殆ど眠りの助けにならなかった。

1泊は妹が、もう1泊は母が居てくれたが、それぞれ事情もあってずっとそばにいるというわけにはいかなかった。




一体どんな順番だったのか、記憶が完全ではないので、誤りもあるかもしれない。

なるべく正しく記事にしたいので、今後正しい資料など出てきたら訂正していく予定。とはいえ、今、夫の死の資料全てをじっくり見るのはまだ辛い。


夫の会社に死亡の連絡をした。その際、夫が家に置いていった会社用携帯電話をまだ持っていたいことを伝えた。

それから、休暇中誰がなんども電話してきたのかと気になって、暗証番号を思いつく限り入力したが解除できなかった。

このことは、その後会社から説明があったときも個人情報保護の点から教えることは出来ないと断られた。

家のパソコンの検索履歴に、彼の担当したと思しき会社が一社出てきた。彼の失敗はこの会社絡みだったのかもしれない。

これも会社に尋ねたが答えは貰えなかった。




これを出さないことには何も出来ないということで、死亡届を出しに役所に行ったと思う。そこで今後やることリストのような紙を貰った。

ずらりと並んでいて、呆然とした。人が一人死ぬとこれだけの手続きが必要なのかと。

その日だったか後日だったか、覚えていないが、夫の死後何度も心配して電話をくれた障害福祉課にも赴いた。

今までの事情を話すと、経済的負担を少しでも減らせるように、様々な行政サービスを提案された。

職員さんは個室で話をじっくり聴いてくれて、思わず泣いた。ティッシュまで用意してくれた。

内容のほとんどは頭に入らなかったが、それもまた、一覧表を貰った。細かな書き込みが赤ペンでしてあったと思う。



次は七瀬を伴って葬儀社に行った。

夫側の親族のうるさいおじさんが社長をしている葬儀社。

私は、夫の職場は遠く、それほど大勢の人は来ないだろうし、身内だけで見送るので一番シンプルなプランで頼んだ。

見積書をみて、七瀬もこれならと私に頷いた。七瀬は自分の母親の葬儀のほとんどを仕切ったのでこの辺りのことは詳しかった。

葬儀火葬のあと行うことに決めた。いつまでも気の毒な形のままいさせたくなかったからだ。



時期的に、火葬場は混み合っていた。春先というのは老人の見送りが多いし、この町は老人だらけだ。

数日待って、火葬の日。

葬儀社の安置室に行くと、夫の棺の上には豪華な花束が置いてあった。今日ここに来られなかった友人がせめてと贈ってくれたものだった。

棺が開かれた。

夫はこんなモアイみたいに眉間から盛り上がった鼻じゃない! 白い布をかぶっていてもまるきり別人だと思った。

棺に触れると、ずっしりとした木の感触があった。いい棺に入れてもらったんだなとその時はただ思った。

それから夫の太ももに触れた。棺の感触とまるで違う、カスカスの軽い感じ。発泡スチロールのようだ。

損傷が激しい、とは聞いていたけれど、太ももが無いなんて……。怖くてもうそれ以上あちこち触れられなかった。


友人たちは入れてはいけないものを予め葬儀社に聞いていて、本当はコレじゃないんだけど……と、プラカップのお酒を入れた。

金属だのガラスは入れてはいけないらしい。ほとんどゴミの分別と一緒だ。

私は夫が読んでいる途中だった続き物の歴史小説と大好きなリゾート地で過ごす服一式を入れた。

棺が閉じられて、私は霊柩車に乗りこんだ。ずいぶんと年季の入った車だった。

助手席のシートの一部は切れて中のスポンジが覗いていた。運転はおじさん(社長)がした。



火葬場に行くと、会社の上役二人が玄関に待っていた。

挨拶をしたが、二人は待合室には入ってこなかった。ケンが気を遣って二人と一緒に廊下で待った。

焼香して火葬の準備ができると、私一人が残るように言われた。

確かに今から夫の亡骸を焼くのだと、確認しなければならないのだ。恭しく扉を閉め、火葬のボタンを押す職員に私は頭を下げた。

終わって、ホールから廊下に入ると七瀬が待っていて私の肩を抱いた。私はその手を握った。

待合室には、友人たち、それから舅(姑はすでに他界している)と義兄(4人きょうだいの長兄)、私の両親と妹がいた。

そこで、ひとつ困ったことが起こった。私の父が葬儀代は会社や市からの補助で補えるとか、お金の話を舅と義兄の前でし始めたのだ。

父は圧倒的に空気が読めない。

私は頭を抱えたくなった。こいつを叩きだせ! と脳内で叫んだ。

にわかに場は緊張を帯びた。

「お父さん、それはちゃんとするから……」

私はそれだけ言って、逃げた。いたたまれなかった。

喫煙所に移った友人たちに混ざって、待った。大きな窓から見える桜はそこだけ日当たりが良いのか満開で、もう花びらを散らしていた。



火葬が終わって、骨を拾った。夫の上役も加わった。

骨は今まで見た誰よりも大きく太く、重かった。これまで見たのは全て老人のものだったので、あまりの違いに、また、生々しさに慄いた。

すすり泣く声が小部屋に溢れたが、私は泣かなかった。

貧血一歩手前みたいな気分で、黙々と箸を使った。

骨壷もまた、かつて見ないほど豪華なものだった。全面に絵付けしてあって、成金趣味っぽかった。

ふだんは無印良品の丼でごはんを食べるような夫だというのに。

その上、骨壷の箱を覆う布は紺地に金の錦でギラギラしている。なんてグロテスクなんだ。

シンプルに、と強調しておいたのに……。



ギラギラした箱を胸に抱いて、私は帰りの車に乗った。義兄が大型の車を出してくれた。

車内で、舅がこんなことになって申し訳ないと言った。私こそ……とうなだれた。

それから舅は、夫が過去にも意識障害で病院に運ばれたことがあると告げた。その時は何を言っても返答がトンチンカンで明らかに変だったのに、検査の結果はなんでもなかったと。

もしかしたら、自殺じゃなくて、そんな状態になってしまって崖から落ちたのかもしれないと、同乗した友人がつぶやく。

きっとそうだと、皆頷く。

そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。

帰宅して、皆がいなくなると家中遺書を探した。失踪中も探したが、もう一度探した。メモの一片も見つからなかった。

ギラギラした錦の布に異様に腹が立ち、私はそれを剥いで、ベランダの物干し竿にぶら下げた。

白い風呂敷だけになった夫を、そっとテレビの前のテーブルに置いて、「生きていけない」と床にうずくまって泣いた。

七瀬が背中をさすり続けた。生きていけない。生きていけない。

「ルキはもっと、幸せになっていいと思う……」

七瀬の声は静かだった。




告別式の日はよく晴れて、桜が満開だった。

風は少し強かったものの、暖かく、参列者に寒い思いをさせずに済んだのは幸いだった。

参列者は想像の倍以上だった。職場の方も大勢来てくださったが、それ以外の友人も、平日にも関わらずお別れに来てくれた。

一方、身内はといえば寂しいものだった。

舅と義兄、従兄弟はいたが、義姉は仕事、もう一人の義兄は家族旅行で来なかった。夫は特に家族に迷惑をかけたことはない。結婚式には皆来たのだから。

義兄はなんとも居心地が悪そうだった。

私の方は、父方は来ず(もともとそれほど付き合いはないが)、母方のおじ・おばは殆ど来た。遠方からも。それから妹家族と妹の舅。

受付係はリカとケンと、もう一人、地元の姉とも言えるレミが引き受けてくれた。(すべて仮名)

想像以上に参列者があって、お金の計算が合わないと何度も計算し、食事の時間も取れないほど忙しくさせてしまった。

式は滞り無く済んだ。

挨拶は義兄と私がした。私は前日にネットで例文集を見て、無難に用意したものを読み上げただけだ。

ただ、死因は言わずにおいた。

知っているひとは皆知っているのだし……。

お斎のとき、献杯の挨拶は母方の叔父がした。甥っ子がお弁当を楽しげに眺めてアレはなに? コレはなに? と訊く。可愛くて、心がなごむ。

会社の上役たちはお斎が始まる前にさっと席を立ち、帰っていった。

僧侶はなんの縁もゆかりもない近所の寺から、でっぷり太っていい時計を嵌めた人が派遣されてきた。葬儀社のおじさんに言われるまま15万円包んだ。

今後も相談に乗りますと、ビジネスライクに名刺を貰うも、お布施の領収書は貰えなかった。

それが当たり前なんだろうけど、お寺の経理って一体どうなっているのだろうと不思議に思う。



葬儀社から請求書が出た。

予想外の参列者の数を足したとしても、驚くような請求額だった。

払えないことはないけど、どこが「シンプル」??

重厚な棺(桐の高級品)、装飾過剰な骨壷、修理も怠るボロい霊柩車……。嫌な予感はしていたのだ。

七瀬が見積もりと見比べて、憤る。

「親戚なんでしょう??」

「……これからはそう思わないことにする」

私はぐったりと横たわった。

まだまだやることはあるけど、やるせなくてもう動けない。

お金を母に渡して、支払いに行ってもらった。社長とは以来会っていない。



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夫の死について 「発見」

まとめて読めるように、リンクを貼っておきます。別窓で開きます。

1 夫の死について 「予兆」

2 夫の死について 「救急搬送」

3 夫の死について 「失踪」

4 夫の死について 「発見」←この記事です

5 夫の死について 「火葬と葬儀」

6 夫の死について 「死後の手続き」 

7 夫の死について 「散骨」

8 夫の死について 「会社からの説明」

9 夫の死について 「財布の中身」




警察に捜索願を出し、会社に休暇の延長を頼み、ひとまず私は日常の作業をこなした。犬の散歩や掃除洗濯。

それから、夫が一度だけ泊まったネットカフェが何処だったか思い出せず、近隣エリアの店に片っ端から電話をかけた。

しかし、個人情報保護の壁に阻まれ、会員になったかどうかさえ教えては貰えなかった。

逃れるなら都会だと、その時は思っていた。失踪経験者の知人が揃って都会に紛れたと言っていたからだ。

調査会社にも何件か問い合わせてみた。
だいたい、1行政地区あたり幾ら、という値段で夫が行きそうな場所を絞ったとしても最低120万円はかかることがわかった。
(あとでその意気そうな場所の全てはまったくの的外れだとわかるのだが)

最低で120万円。長引けば1000万ぐらいすぐ消えるだろう。

どうする? どこに電話しても、成人男性の失踪なんて、自己責任でしょうという雰囲気で真面目にやってくれるのかどうか疑わしい気になった。
問い合わせた会社が悪かったのかもしれないけれど、どこもかしこも電話口の声は丁寧さに欠け、横柄だった。

彼らにしてみれば、男の失踪なんか毎日何件もあるくだらない話、美味しくない仕事なんだろう。



リカから電話があった。

夫の友人数人には伝えるべきじゃないかと。私は連絡をお願いした。

リカは本当に親身になってくれた。なんせ互いの夫婦揃って十年以上にもなる付き合いだ。地元の兄弟と言ってもいい。

失踪の一週間のうち、何度も電話やメールをくれ、私を励まし、また、食事を運んでくれた。



夫には何度もメールした。

「無理やり連れ戻したりしないから、無事だけ知らせて」

「会社のことはなにも心配ない。気まずい思いはさせない」

「お金は必要な額引き出して。クレジットカードも好きなときに使って。それを調べて連れ戻したりしない。安全なところにいて」

それから、夫がかつて見てみたいと言っていた京都の桜の開花時期を調べて、それもメールした。



だんだん力が尽きていくのが分かる。疲れて、悲観的になる。

家にいたかった。いつ帰ってくるかわからない。その時私が不在ならまた消えてしまう気がして仕方なかった。

一方で、外に出て途方も無い捜索を一人でするべきなんじゃないかとも思った。

義兄からは地元で見かけた話はないと連絡があった。

公開捜査にすべきか警察に相談したが、残念だがそんなに効果に違いはないと言われやめた。


チラシをばらまくことも、数日で帰ってきたとき地元で話題の人になってしまうかもしれないし、色々考えて私はとうとうフリーズしてしまった。

三日後、両親に夫の失踪を知らせた。

そこから数日記憶は曖昧で、記録もない。寝込んででもいたのだろうか。
どこかうろうろした気もする。



6日目、この夫の不在は長期化するだろうと思って、経済的なことを考え始めた。

今住んでいるマンションのローンを払い続けるにはなるべく早く仕事を探さなくては。
何故か引っ越すことは頭になかった。
夫と連絡さえとれたら、どこに住んでいても構わないというのに、引っ越すという考えが浮かばなかった。
(失踪中の人物が物件の持ち主である場合、処分はどうするのだろう? 今思った)


混乱しながら、ハローワークに電話した。

精神病で通院しているが、障害者枠の仕事はどうやって応募できるのか問い合わせた。
その時の精神状態から普通のフルタイムに応募できる気がしなかった。

「手帳はもってますか?」

電話の相手は訊いた。手帳? なんだそれ。
手帳がないことには始まらないと教えられ市役所の障害福祉課に相談するように促されて終わった。


言われるまま障害福祉課に電話した。

そこで、事情を話して仕事を探したい、仕事がなければ薬の治験でもなんでもとにかく夫の不在の間の金銭的問題をどうにかしなければならないのだと、必死で話した。

「役所に来ることはできますか? 詳しい話しをしましょう。あなたは何のサポートも受けていないので手続きで負担が減らせます」

というようなことを職員は言い、私は明日行くと答えた気がする。
動転していたのでこの辺りの詳しい記憶も曖昧だ。

私は不安でいっぱいだった。悪いことばかりを考えた。泣きもした。

夫の最後の「抱っこ」はお別れだったのかもしれない。
だって、抱き上げて運ぶなんて新婚じゃあるまいし、そんなこと普段しないじゃないか。



7日目。

隣の市の警察署の刑事課から電話が来た。

「夫が見つかったんですか? 元気なんですか?」

刑事は、
「市内で、男性の投身自殺と思われる遺体が発見されました」
と低い声で答えた。


こんなに叫んだことはない。

ちゃんと答えようとしても、言葉にならない。

刑事が何度も何度も、奥さん、大丈夫ですか奥さん、と声をかけてくれた。

遺体の確認のために警察に来て欲しい、その際運転は自分では決してしないことと念を押された。



リカと両親に電話で連絡した。警察署に三人共行くという。また、リカが私を乗せていくとも。

それから、市役所に電話した。

夫は亡くなって見つかったので、今日は行けないことと、相談に乗ってくれた礼を言った。

職員は、残念なことですが、力になれることがあるので一旦話をしましょうと焦ったような声だった。

私は、もういいんです、大丈夫です、ありがとうございました。少し投げやりな感じで切ったと思う。



間もなくしてリカが家に来た。玄関に入るなり私を抱きしめて激しく泣いた。私もすがりつくように泣いた。

「なんで?」

二人で何度もそう繰り返しながら泣いて、警察署へ向かった。

1時間ほどの道だった。リカは運転しながらも泣いていた。何度も目をこすって、安全に運転してくれた。

私はもうグズグズだった。ちゃんと座っていることもできず、助手席のシートを倒して、タオルで顔を覆っていた。

警察署に着くと、義兄と両親、それから私の妹も来ていた。

普通の人なら用のない二階の一室に通された。
ソファセットとスチール製の書類棚、そこに収まらなかった大量の資料がダンボールに入って積み上げられていた。

夫が死んだ場所は、今まで夫婦で話題にもなったことのない山の中の崖の下だった。
川が流れていて、増水していたらきっと見つからなかっただろうと言われた。

まずは夫の結婚指輪を渡された。確かに夫のものだった。

それから、遺体の損傷が激しいので、奥さんは見ないほうがいいだろう、と、義兄と父を安置室に連れて行った。

帰ってきた二人は青黒い顔をしていた。それだけで、どんな惨状かわかった。
確かに彼だと、ふたりは肩を落とした。

隣りに座ったリカが嗚咽し、私はリカの膝に伏した。


震えながら、いくつかの書類にサインした。

差し出された夫の遺品は湿っていた。

財布の中のお金は五万円と少し。
失踪した日に下ろして使わなかったのだとわかった。
携帯電話は割れていた。
財布の小銭いれに入っていた家の鍵は衝撃で曲がっていた。


葬儀社はどうするかと刑事に問われて、うちの近所に住む姻戚の会社はどうかと義兄にきいた。

義兄はどこでも構わないんだよ、と言ったが、その姻戚はうるさい人なので使わないとあとでなにを言われるか分からない。

面倒はイヤなのでそこに頼むことにした。

それから、遺体検案料を支払わなければならなかった。

持ち合わせは1万円ちょっと、代金は5万円近く。義兄が建て替えてくれた。

全て終えて、警察のトイレを借りた。

ベルトを締めていたので、ここで吊ってしまいたい。

でも、ドアノブもなければ、荷物掛けもない。天井の通気口はバーベキューの網みたいで、とてもベルトをかけられるものではない。

トイレの個室を出ると、リカと妹が青い顔で待っていた。

二人に支えられるように、警察を後にした。



遺体は葬儀社に預かってもらった。

一人の家で、棺の中身を全て詳らかにしないですむ自信がなかった。

見るのは怖い。認めたくない。だけど、認めたくないから全部見たい。



夫の遺体が見つかったのに、すぐに家に帰さないなんて酷い嫁だ。わかっている。

夫の死亡推定日時は失踪した翌日だった。胃の内容物と、その後雨が降って濡れたことから推定されたそうだ。

京都の桜開花情報なんか、届いてはいなかった。




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夫の死について 「失踪」

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1 夫の死について 「予兆」

2 夫の死について 「救急搬送」

3 夫の死について 「失踪」この記事です

4 夫の死について 「発見」

5 夫の死について 「火葬と葬儀」

6 夫の死について 「死後の手続き」 

7 夫の死について 「散骨」

8 夫の死について 「会社からの説明」

9 夫の死について 「財布の中身」 




夫に収入面で心配をさせたくない。救急搬送からその思いは強くなった。

幸い、寝不足ではあったけれど体調は安定していたのでアルバイトサイトを検索したりして、夫にもそろそろ働いてみようかと思うと伝えた。

「無理はするなよ。そもそも、家にいて欲しいといったのは俺だし」

と夫は笑っていた。

夫の職場復帰の前日、私は夫と共に精神病院に行った。

夫に医師からも私の病気が良くなりつつあることを証明して欲しかったからだ。ちょうど薬がきれるころで予約してあった。

医師の言葉を夫がどう受け取ったかは知らない。でも、ひとまず順調だと伝わって、ついでに花粉症がひどかったので抗アレルギー剤をいつもの薬に追加してもらい終了した。

帰りに、昼食の弁当を買いにスーパーに寄った。その時も夫の会社用携帯が鳴った。夫はしばらく私から離れて電話し、明日以降のランチ代を下ろしにATMに行った。だいたい月4万ほどだ。

食事はいつもどおり和やかだった。テレビをみて、おしゃべりして、夕食の献立をいくつか挙げるとと夫は嬉しそうだった。

食後、抗アレルギー剤を飲んだ。スギ花粉のおかげでもう我慢出来ないほどあちこち痒かった。

しばらくすると、抗アレルギー剤が寝不足の身体に回り始める。リビングのこたつで私はうとうとした。

夫は「ベッドで少し眠りな」と、私を抱き上げて運ぼうとした。発症してからずいぶん太った私を運んだりしたら、せっかく元気になったのに腰を傷めてしまう。

私は自分で行けるよ、と笑って寝室に移った。これが、私達の別れだった。



少しの昼寝のつもりが、目覚めると夕方5時を過ぎていた。私は飛び起きて、夕食の支度を始めた。

夫は当然いつものリビングの定位置にいるだろうと思って、副菜をどうするかと声をかけた。反応がなかったので、眠っているのだろうと思い、料理を続けた。

「そろそろできるから起きてー」

呑気だった。リビングを覗きこんだ私は、そこに夫が居ないことにようやく気付いた。

トイレで倒れてる? 風呂場? どこ? 狭い家じゅう探すが居ない。

スーツはクロゼットに全部ある。携帯がない。買い物にでも出た? すぐにコールするも電源が入っていないか電波の届かないところにあるというメッセージが流れるばかり。

どうしたのだろう……。夕飯の時間まで待ったが夫は戻らない。

夜出かけるには軽いスポーツウェアだけで出かけたのだから、そんなに長く外にはいられないだろう。

嫌な予感がして、夫のダウンジャケットを引っ掴んで近所を探しまわった。

サクラが咲きそうだと今朝話した公園、コンビニ、駅……。

見つからず、夫と公私ともに親しい友人夫婦(仮にケンとリカとする)に電話し、事情を説明した。ケンは夫と同じ会社に勤めている。

それから、夫の実家のある土地に住む義兄にも電話した。

夕食どころではなくなってしまった。何度も何度も電話したが、繋がらない。

仕方なくメールを送る。「心配しています、とにかく暖かいところにいてください」



眠れずに夜明けがきた。

私は夫を待ちながら作った書類と夫の写真、印鑑と身分証明書を手に、警察署へ赴いた。二度手間にならないようにネットで調べて準備した。

「家出人捜索願を出したい」

というと、生活安全課の警察官が個室で対応してくれた。

夫に自殺のおそれがあることを強調すると、すぐに夫の契約している携帯電話会社に連絡してくれた。

夫の携帯は相変わらず電源が切られていた。電源が入っていないと、場所が特定できないのだと警察官は弱り顔だ。

個室で話している間も、他の職員が夫の携帯に何度も電話してくれていた。もっと冷たい対応をされると思っていたので本当にありがたかった。

警察官との話は約1時間半に及んだ。

私は「もし、秘密の借金があっても、ほかに恋人がいても無事でいてさえくれたら問題ない。彼が見つかったら、無理に家に連れ戻したりしないと約束すると、伝えて欲しい」とお願いした。

警察官は私に同情的だった。決して失礼なことを言わなかった。「愛人のところにいるかも」ということも、婉曲に、言葉を選んで話した。

夫は今まで一度も浮気らしい浮気をしたことはない。少なくとも私の知るところではない。

仕事が終われば寄り道せず家に帰り、たまに呑んでもメンバーも店も同じ。

一度だけ終電を逃してネットカフェに泊まったことがあるぐらいだ。だが、人は意外な秘密を持っていることもある。

とにかくどこか安全なところに居て欲しい。それが愛人のもとでもなんでも構いはしないから。

家に帰って、ケンに社内この秘密を守れる上役はいるか、と訊いてからその人あてに電話して事情を話し、休暇を延ばしてもらった。夫が帰ってきたあと、職場に戻るとして、気まずい思いをさせたくはない。

帰ってくると思っていた。だから、その後になるべく気安く元通りの生活ができるようにとそれを第一に考えていた。

誰にどこまで事情を知らせるのか迷う。

Twitterをしていたので、そこで繋がった人たちに知恵を借りた。実際失踪した経験者が数人、DM(当人同士にしかわからないメッセージ)をくれて事情を話してくれたりした。

この時はまだ、希望があったのだ。



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