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ルキ(Lukih)

Author:ルキ(Lukih)
診断書貰って見たら「傷病名:統合失調症」だった…もう、7年も通院してます。人生終った…と思うこともありますがなんとか生活を立て直したいんです。


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続・ご病気女の最初の最初

幻聴幻覚は、薬を飲むうちに治まっていった。

が、今度は深刻な抑うつ状態になった。

病名を告げられていなかったので当時は知らなかったが、統合失調症陰性症状というやつだ。

幻聴幻覚の時期に酷く消耗し、心身ともに疲れきった状態。

朝夫を送り出し、犬の散歩をしたら夕方までほどんどなにもせず横たわる日が多かった。



発症前の生活とのあまりの落差に、慣れることができなかったのが本当に辛かった。


以前の私は、仕事は真面目、身奇麗にしていて、人付き合いも極普通にできた。わりと社交的で陽気だった。

マメに美容院で手入れした髪。服や靴は季節ごとにまとめ買い(そんなにお洒落じゃないので、アパレル勤務の友達任せ)。メイクは資生堂とシャネル、ランコム(高いが、高いなりのことはあった。化粧崩れしにくい)。

料理が大好きで、よく自宅に友人を招いて色々作って沢山呑んだものだ。和洋中エスニック、なんでも作った。

食べてる途中に急に飛び入り参加の友人が来ても、ありあわせで喜んで追加料理を作ったものだ。

仕事は人と接する営業系しかしたことがないし、それしか取り柄がないと思っていた。

休日はジムに行って筋トレと有酸素運動とサウナ。ときにはアカスリとマッサージも。

もちろんデートだってした。



それが、美容院にも行かず(月一、もしくは三週間に一回だったのに)、風呂にも滅多に入らずベタつく直前にシャワー五分(毎日浴槽に1時間は入ってた)、一人の時間は毛玉のついたTシャツとヨレたハーフパンツにクロックス、すっぴんで納豆ご飯が一週間続いてもなんとも思わなくなった。

ご飯3合炊いて、バター醤油だけで数日、なんてことも当たり前になった。

料理好きだったのに、夕飯作りが苦痛。

夫と出かけるときに、正しく化粧できてるのか判断がつかない。



法事で久々に合う親戚には「別人だね! どうしたの」とはっきり言われ、嗤われた。

恥ずかしくて、ますます引き篭もっていった。


医療費や生活費の足しにしようと(夫の収入で十分賄えたにも関わらず)、独身時代に買った貴金属やバッグ(バッグ、夫に腕は2本しかないよ、と笑われるほど持っていた)、洋服、お金なるものは全部売り払った。

結構な額になった。貴金属が値上がりしていたのが大きかった。


夫以外、精神科に通っていることを知らなかったので、友達から以前と同じように誘いがあった。

多くは予定があると断ったが、そのまま縁が切れるのが怖くてたまには顔を出した。

その時は楽しい。お酒も呑んでいるし、たくさん喋って愉快なひととき。

ところが帰ると体中ガタガタ震えて、自分の現状が悲しくて悔しくて、風呂やトイレで泣く。

何かおかしなことを口走らなかったか、夜明けまでひとりで反省会。



だんだんその付き合いもできなくなって、友達をずいぶん失ったと思う。

情けなく悲しかった。


今では、仕方がなかったと思う。

病気になるということは、生き方を変えること。

私の変化からなんとなく察して、付き合いを続けてくれる友だちもいる。そのうちの数人には夫の死後すぐに正直に病状を話した。彼女らの態度は変わらなかった。

なんてありがたいことだろう。私も友人にとって頼りになる人間でありたいと思う。



私自身に、精神疾患に対する偏見がある。

私が私を差別していると思う。

これを少しずつ変えていかなくてはならない。

ちょっと社会でうまくやれないぐらい、どうってことないのだと自分にも人にもきっぱりと言えるようになりたいと思う。


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ご病気女の最初の最初

結婚、引っ越し、人事異動、オーバーワーク。

発症の引き金になったストレスの連なりはだいたいこの4つ。


結婚がストレスって変だけど、要は環境の変化ってこと。

結婚自体は幸せだったよ。自分が結婚できると思ってなかったし、夫との暮らしは人生でもっとも安心して穏やかだった。

結婚に伴う引越しも、そんなに長距離じゃなかったけど、それなりに大きな変化だった。


人事異動。これは堪えた。

ちょうど結婚の時期に、私のいた事業所が閉鎖になったのだ。

私の部署で数字は出していたにも関わらず、会社自体は瀕死だったので銀行から経営に物言いがつき、あれよあれよといううちに閉鎖された。

それまで、少ない人員でどうにか利益を上げられないかと毎日サービス残業でヘトヘト。

アトピーが悪化して、服で隠れるところ全て、血がにじむぐらいガッサガサ。

なにが原因かわからない鼻炎。

不眠。そして生理の停止。

それでもただ黙々と仕事していた。自分の健康を考えるという習慣がなかったので、病院にも行かなかった。



結婚式は入籍後半年経って行った。

興味はなかったけれど、夫の仕事の付き合い上したほうがいいということで、事業所をたたむ作業と並行して準備した。

当日は酷いアトピーで、長い白手袋と、水化粧をこってり塗ってごまかしたほどだ。

結婚式の翌日から、新婚旅行。その後に異動という流れになっていた。

まあ、人生頑張ったってそんなもんだよな……と冷めた気分でいた。




ところが、旅行先の南の島で昼寝していたらなぜだか急に、「今まで何だったの?」という虚しさに襲われて蛇口が壊れたみたいにダバダバ涙が出た。

日本に帰りたくない! 突き上げるように思った。

隣でごろ寝していた夫が、「会社、もう辞めなよ……俺、奥さん家にいるの憧れてたから、家にいてよ」。しんみりとした口調だった。

夫の育った家庭はちょっと複雑だったので、家にいつも誰かがいるというのに強いあこがれがあるのだという。

当時私と夫の生活リズムはまるで違い、同居していても殆ど一緒にいる時間がなかった。

でも、私は自分の収入を失うのが怖かった。

私もまた少し複雑な家庭に育ち、稼ぎがないということがどれほど惨めか骨身にしみていたから。

新婚旅行は楽しかった。外に出ればたくさんのアクティビティがあるし、美味しい食べ物もたくさん。

でも、部屋に帰ると涙がとまらなかった。




旅行から戻り、異動先で働き始めた。

そこは人手が足りないせいか人間関係は常に緊張を孕んでおり、さらに平気でウソをついて仕事をサボる先輩の尻拭いまでする羽目になった。

今思うと、あの先輩こそなんらかの精神疾患なのではないかと思うほど、悪意なく嘘をつき勝手気ままに過ごしていた。



もちろん上司に相談はしたが、こちらは新参、そのうえ上司は事なかれ主義。

優しい人ではあったけど、組織再編で変なところに飛ばされないように、そればかり気にしてる感じ。

前任者も、専門知識が乏しく(畑違いの異動だったようだ)途中で投げ出した仕事ばかりが積み上がったまま引き継ぐことに。

まるで子供の散らかしたおもちゃを片付けるところから始めるようだった。



早く出社して遅く帰って、前の事業所と変わらないどころか、通勤時間が延びたので負担はじわじわ身体を蝕んでいった。

そういえば生理が1年ぐらい来ていない……と気付いたものの、面倒がなくて却っていいとさえ思った。



帰宅すれば夕飯の支度。遅い時間食べるようになって、少し太った。

休みの日は、それをどうにか止めるため、ジムで必死で運動した。(努力の方向が完全に間違っているが、そのときはそれが当たり前だと思っていた)




次第に、憂鬱に支配されていく。

職場に協力者はおらず(皆自分で手一杯)、悪口陰口、いじめもあった。



身体は重く、常に耳鳴りがする。

誰も彼も、自分を悪く言っているのではないかと怖くなり、表面的にはにこやかだがビクビクして過ごす時間が増えた。



アトピーはとうとう顔面に広がってきた。痒くて痛くて、見た目も痛々しくて、たまらない。

夫は「もう、お願いだから仕事やめてくれ」と私を抱きしめた。家事も仕事も全部完璧なんか望んでいないと。




敗北感いっぱいで、半年後私は退職した。

休職で様子を見てはどうかと上司は言ったが、その間の人員が確保できないというのに休んでも休まらない。

知識のないアルバイトでも一人フォローがあれば半年ぐらいは保つように準備して、マニュアルを作り、先輩社員に引き継いだ(嘘つきじゃない人)。

こうして私の正社員生活は終った。

就職氷河期に契約社員から必死で勉強して、社員になったところだ。辞めるのは悔しかった。



退職したにもかかわらず、職場からは毎日何度も電話がかかってきた。

どういういきさつか知らないが、引き継いだはずの社員じゃなくて以前私の手伝いをしていた派遣社員がそのまま仕事を任されたためだ。

派遣社員は、慣れない仕事でどうしようもなく、私の携帯に電話してくる。

なんでこんなことに? と思ったができるかぎりのサポートをしたつもりだ。

でも、あまりに頻繁で電話の音にビクビクするようになってしまった。



その頃の私は、皮膚科(アトピー)と耳鼻科(蓄膿症だった)と婦人科(無月経、検査と数回の通院で止めた)と歯科(顎関節症になってしまった)と、しょっちゅう病院通いしていた。

すべて治りは悪く、生理も来ないまま。婦人科など検査しても異常がないのに。



そして、幻聴が始まった。

電話が鳴ったと思って出ると、着信はない。

ドアチャイムが鳴ったと思って出ても、誰もいない。

近所の学校のチャイムが時間帯問わず延々鳴り続けている。

夫が舌打ちしたり、文句をいう。「何か不満があるなら言ってよ」と問うと、夫はぽかんとして、「なにも言ってないよ」。

風景が二重写しになって、夢を見ているように現実味がない。

そして、居るはずのない父親の怒鳴り声がする。

偶に友達に会ってもそのときは楽しいのに、帰宅するとまるで重労働の後みたいにぐったり。

当然のなりゆきだが、人と会うのが怖くなってきた。

病院以外は殆ど家を出なくなり、外出は大抵夫と一緒。

旅先で日本語が聞こえないところだと不思議と落ち着いたが、せいぜい一週間で帰ることになる。

自分が醜く、気持ち悪がられている気がして必死になって洋服を揃えたり、細部まで手抜かりなく化粧した。

それでも不安で、出かけるために気付けの酒を煽ることさえあった。

もちろん症状には波があり、元気なときはあれこれやってみる。夫婦共通の友人を家に招いて10人分の食事を前日から作って振る舞ったり、旅行に出かけたり。

自分はダメだと項垂れる私に夫は「別になにがダメなのかわからない、普通に家庭は回っている。波が落ち着くまでのんびりしていればいい」と言う。

実際、今振り返れば家のことは問題ないレベルだったし、人間関係でトラブルを起こしたわけでもなかった。

でもこれじゃいけないと狂ったように家中掃除し、翌日は簡単な日曜のブランチさえメニューが決まらず全く作れず悔し泣きまでする始末。

不安定な日々は一年以上続いただろうか。生理は完全な停止から、たまに来るものになった。身体が休まって排卵するようになったんだろう。



ある夜、父親の怒鳴り声の幻聴が止まず、カッと火が着いたように視界が真っ赤になり、体中怒りでいっぱいになった。

次に気付いた時には私はベッドに腰掛け、カミソリを持って、太ももから血を流していた。



怒りはすーっと引いていき、私は床の血だまりに呆然とした。


夫が寝室に入ってきて、慌ててカミソリを奪い、血を拭ってくれた。


「どうして?」と訊かれた気がするが、自分でもわからない。


そしてようやく、精神病院に行くことになった。

夫が車で連れて行ってくれた。事情を説明しているうちに涙が止まらなくなったのを覚えている。

主治医は地蔵のような顔の初老の男性で、対応は労りに満ちていた。


メジャートランキライザーと睡眠導入剤と精神安定剤をどさっと処方されて、私の精神科通院生活は始まった。

夫に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。離婚して欲しいというと、夫は頑として拒否した。

「俺が病気になったら、ルキは離婚するの?」

そう憤っていた。


※こうして発症の頃を振り返ると、夫の精神的負担は相当だったろうと思う。失踪の頃は安定していたが、安定したからこそ消えてしまったのかもしれない。



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